ヲタク院長のひとり言
2024.10.19 和田病院今昔物語②
昭和44年頃になると病院前の砂利道に近鉄バスが運行するようになりました。
奈良ドリームランドというディ〇ニーランドそっくりの遊園地が奈良公園近くにできたためのようです。
ドリームランドの人気は凄まじく、土、日曜はバスが満員だったのを記憶してます。
とまれ徳庵駅まで歩かなくなったので本当に助かったと当時の人々はとても感謝してました。
その2年後ぐらいに今度は市バスが蒲生4丁目までから、安田まで運行を伸ばしてくれるようになり、梅田、大阪駅までのアクセスが各段にあがりました。
当時、鶴見緑地のあたりは沼や川だらけの湿地帯。あとは畑と田んぼばかりで、病院の周囲は町工場が多くありました。
朝7時半ぐらいから朝礼が始まり、8時から仕事開始。
終わるのが早くて午後7時半、遅ければ9時、10時。その後、飲みに行くという恐ろしくエネルギッシュな時代でした。
流行っていたCMソングは、24時間働けますか、ビジネスマン~ビジネスマン~でしたから、凄い時代です。
町工場の工員さんがよく指をプレスに挟み病院に来院されてました。
ほぼ原形をとどめていないため、切断するしかなく悲惨だなぁと思っていましたが、なぜか笑顔の人が多い。
聞いてみると、やっとこれで仕事休める。
3ヶ月ぐらい休めるなら軽いもんだと言われてたのを聞き、大人の社会は本当に厳しいんだなぁと戦慄しておりました。
今なら超ブラック企業に認定されそうなのですが、当時はそれが当たり前だったのです。
2024.10.19 和田病院今昔物語①
当院は昭和38年8月に先代 和田忍により開業しました。
私は次男として昭和39年に生まれましたが記憶にある一番古いのは、昭和44年頃からです。
病院は100坪の土地にベッド数12床の診療所で和田外科という呼称でスタートしました。
昭和30年代、診察科も外科と内科と大雑把な分類しかされておらず、外科では腹部外科、胸部外科、脳外科、乳腺外科、頚部外科、整形外科全て含まれるような形だったそうなので、整形外科自体が新しい診療科でした。
なので和田外科です。
先代は大阪市立大学(現 大阪公立大学)整形外科医局にて助手で勤務してましたが、師事していた先生が教授選で敗れ、城北市民病院に出向を命じられていましたが納得できなくて開業したと話しておりました。
先代は股関節骨折に対する人工骨頭手術を得意にしておりましたが、股関節の骨折に対して当時は保存的な治療法がメインで、そのまま立位、歩行できなくなり寝たきりになるケースが多かったそうです。
そのなかで人工骨頭挿入術の手術ができたこともあり、大変な人気を得ました。
そんなこともあり有床診療所から病院へとあっという間に進展していきました。
ところで当時の鶴見区はまだ城東区の一部で、地下鉄はおろか市バスも通っておらず、当院の前の道路も国道ではなく細い砂利道でした。
交通手段は最寄りの駅がJR徳庵駅だったので、歩いて30分かかっていました。
病院周囲も町工場やトラックのターミナル、銭湯が多くあったのを覚えております。
2024.7.1 鼠径ヘルニアとは?
鼠径ヘルニアとは?
一言で言えば筋膜が歳と共に劣化し、張りがなくなったところにお腹の圧力に負け腸が脱出してくる病気です。(いわゆる脱腸) 筋膜は主にコラーゲンでできていますが、年齢を重ねると緊張がなくなりたわんできます。古くなったナイロン繊維(ダウンジャケット、ウィンドブレーカー等)を思っていただければわかりやすいと思います。
また鼠径部(図①;大腿の付け根の腹部側 )はそもそも筋膜が薄いため脱腸の後発部位なのです。
また鼠径部の筋膜に精管、子宮靭帯等が出る穴(鼠径孔)があるため尚更です。
のためこれまで様々な治療法が考案されてきました。
前に述べたように江戸時代までは鼠径部に火傷を負わせ、皮膚を硬化させることで補強する方法もありましたが、 熱傷の後の感染等も考えるとかなり乱暴な方法ですよね。
また手術以外でも、例えば今でも使われているヘルニアバンドもありますが自然治癒するわけではないため、ずっとやっておかなければなりません。
バッシーニー法
明治に入り西洋医学が入ってくる様になると外科手術で治すようになりました 。
1884年エドアドバッシーニーというイタリアの医師によって考案された手術方法は、鼠径部を約6~10cm皮膚を切開し上下の筋膜を引っ張って縫い付ける方法です。
これで鼠径部の補強は確かになされるのですが、元々離れている筋膜を無理に引っ張って縫合するので手術したあとの突っ張り感は半端なく、術後1週間から長ければ一ヶ月は前かがみの姿勢を強いられたものです。思い切って背伸びしたら、ブチィと縫合がはずれ再発、なんてこともよくありました。
なので再発も多く100例中10例前後あったようです。
そこで開発されたのが次に述べるメッシュプラグ法です。
平成5年、米国で発表されました。
メッシュプラグ法
鼠径部をポリプレチレン製のメッシュで覆い固定、ヘルニア穴にもメッシュを丸めて栓にして詰めるという方法です。無理に筋膜を引っ張るバッシーニ法に比べて格段に術後の痛みが軽減したので瞬く間に世界中に広がった革命的な術式です。
ただ原因となるヘルニアの穴が見つけにくいため、特殊なタイプのヘルニア(大腿ヘ ルニア、恥骨上ヘルニア等)を見逃すことがあり、それが再発率にもつながりました 。
再発率は100例中2~3例ぐらいでした。
そして現在、腹腔鏡手術が主になってきました。
1990年頃からあったのですが手術の器具等が整っておらず、それ専用のメッシュも開発されていなかったため広まったのは、手術方法が確立してきた2010年以後になります。
腹腔鏡下鼠径ヘルニア手術
これは腹部に三か所穴をあけ、炭酸ガスで腹部を充満させ手術をする方法ですがヘル ニアの穴が確実に発見できるためやっかいな恥骨上ヘルニアや大腿ヘルニアを見逃すことなく広範囲にメッシュで覆えるようになりました。
また、術後の痛みが激減したため、日帰りから1泊入院で済むようになりました。
とはいえ当院では術後疼痛が麻酔が切れてきたときにかなり強く襲ってくるため一日入院をお勧めしております。
再発率は100例中1例以下になりました。
術後合併症 鼠径部、陰嚢の腫れが機械的操作の影響で水分が寄ってきてきたすことがあります。
ただ多くの場合、約1ヶ月長くて半年もでには自然治癒しますので過度の心配は不要です。
当院では30年間このように変容する鼠径ヘルニアの手術を時代と共に変化させおこなってきました。
そのため様々なトラブルシューテングも蓄積され万全を期すること ができるかと思います。
どうぞ安心してお越しください。
2022.12.22 鼠径ヘルニアの内視鏡手術
当院外科では、鼠径ヘルニアの内視鏡手術をおこなっております。
鼠径ヘルニアとは、平たく言えば脱腸なのですが、紀元前1500年前のエジプトの歴史書にも記載されております。
大げさに言えば人類は有史以来ずっと脱腸に悩ませ続けられていると言える訳です。
現在の外科手術の元になる治療ができる19世紀以前は、包帯固定か程度の強いものになると脱腸と周囲の皮膚に火傷を負わせて無理やり抑え込む方法がなされていたようです。
先人達の苦労があり、現在の治療につながっているのですね。
具体的な治療方法については、当院の鼠径ヘルニア内視鏡手術をご覧いただければ幸いです。